運命によって離れ離れになった二人が、長いながい時を経て巡り合という、壮大なファンタジーです。物語のはじめの部分は、神話として語られ、具体性に欠ける物語があまったるいなあと思っていたのですが、読み進めるうちに、この展開はなんなんだ、これは本気でおもしろいぞ、となってやめられなくなりました。
引き裂かれるのが運命ならば、捜し求め、見つけるのは意思の力なのだという、作者の徹底した人間に対する信頼が見て取れます。世界の仕組みはわからない。ただ戦い続けていくことが、将来を切り開いていくことなのだ。僕はこういったお話が好きです。ちなみに、僕はこの本を飛行機の中に忘れてしまい、離れ離れになってしまいました。新しいやつを買うまでの2日間の、なんとやきもきしたことか。ちょうどこの物語に自分を重ね合わせてしまったわけですね。
「楽園」鈴木光司
「パリへ行った妻と娘」近藤紘一
新聞の特派員ていう人って、こういう生活をしているんだ、という感想を持ちました。どうもキザったらしい文章が最初は多くて、なにを言いたいんだかわからない内容なのですが、微笑ましい生活スケッチを読んでいくうちに、やがて文化の違いや、人の生活というものに、思いを巡らすようになっちゃいます。これは、読む人間をひきこんでいく文章力を持っているということでしょう。
この本には、3つの線があると思います。
作者の奥さんはベトナム人。連れ子の娘がいて、フランスへ留学してます。そして、下宿先の息子のピエールからプロポーズされています。相手の家族は大賛成。親として娘へ、結婚というのはどんなものか、説教にもならないこのつらさ。娘はもうメロメロ。
ちなみに、奥さんの前の旦那さんは、作者の親友です。なかなか一筋縄で語れないこの人間関係。 国際というものを、なまで体験しているというのは、すごいことですねえ。で、もうひとつのお話の線は、作者の前の奥さんが、若くして死んでしまっていることです。お互い若 く、苦労をともにした青春時代への、作者の前妻に対する後悔と愛情とが、非常に切ない文章で綴られています。どうして、人間てのは失った後に大事なものに気づくのでしょうか。
「――前の妻の死後、私は、過去のすべてを石の塊にして心の隅に封じ込めてしまうことにより、人生の継続をはかった。そして、前の妻と生きた世界とはまったく異質の世界を転々とするうちに、いつか次の人生に足を踏み入れた。」最後にもうひとつ、この作者はその後、いくつかの作品をまとめたあと、若くして亡くなっています。と ても優しさあふれる文章なのですが、全体に一種の死生観のようなものも漂っている気もするのです。それは、この作者がすぐに死んでしまうということを、知っていたからなのでしょうか。ちょっとうがった見方かなあ。
「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」
ふと思い出した、芭蕉の句です。
「歳月」司馬遼太郎
幕末、明治維新を経て、明治の新政府が誕生するその時代、多くの才能ある人間が活躍しました。
江藤新平は法律の土台を作った人で、刑法はドイツ、民法はフランスを手本に、日本の法律はできていったわけですね。
「維新」が起こって、旧体制が崩れていく。今まで階級の低かった人間も、才覚ひとつでのし上がっていける。江藤新平は極貧の境遇から、一時は死罪になりかけたり、妻が木の実を山でひろって飢えをしのいだりしていたところから、新政府のなくてはならない要人に名を連ねるまでになっていきます。
「江藤新平が欲しているのは権力である。権力をつかまなければ、この世でなにごともできない。たとえば画家が筆を欲するように江藤は権力を欲している。権力という筆があってはじじめて、江藤はこの世を画布にし、思うままの絵をかけるのである。」
新政府が樹立し、司法卿として権力をつかむ江藤ですが、その政府はすでに別の勢力の持ち物になっていました。薩摩と長州の両藩が、その重職のことごとくを占め、権力を弄んでいます。権力が集中すると、腐敗が起こります。すでに維新という大儀を離れ、官僚が政治を支配する時代になっていたわけです。いわば維新はクーデターで、その志の果てにできたのは、火事場泥棒のような政府だったわけです。
やがて江藤は、大久保利通という怪物につぶされていくのですが、そのあたりの顛末も、すさまじい逃避行あり、政治の裏切りあり、非公開裁判あり、残忍な処刑(リンチ)ありという、壮絶なものでした。その中で、自分のちからのみたよりに、論理をひたすらに貫いていったこの人物に、やはり感慨はひとしおで、このような人物になってみたいとも思うのです。文庫で約700ページ。司馬遼太郎がひとりの人物に対して書いた分量としても、かなり思い入れの強い作品だと思います。さて、佐賀(あたり)出身で、鋭い論理、卓抜した先見性をもって時代の流れに乗り、栄華を極めるも、最後は権力につぶされてしまう――。ひとりの人物を思い出してしまうのです。そう、ホリエモンですね。
まあ、江藤と違ってリンチで処刑されることもなかったわけで、まだまだ大きな影響力も持っている。こちらは再起に期待したいところですね。
「量子コンピュータとは何か」ジョージ・ジョンソン
現代物理学で最大の発見といわれているのが、相対性理論と量子力学です。相対性理論は有名ですね。空間がゆがむとか時間が遅くなるとか、なんとなくわかるような気がします。ところが、量子力学はわかりにくい。なにしろ、量子論の基礎を考えたファインマンという人自身が、「量子論をわかったという人は、量子論をわかっていない」というくらいです。禅問答のようですね。
量子の振る舞いは、まったく物理学にあわないのです。ある友人は、「量子の世界てのは、あれだな、あの世の出来事だな」といってました。言いえて妙ですね。それでも、この量子力学を利用した技術があるから、テレビや半導体といった製品が、世に出ているんですね。この矛盾もおもしろいすね。
というわけで、とち狂った物理学の教授様などが、「物理の本質は般若心経だ!」とかいう本をだしたりして、アカデミックな世界を混乱させていくのですが、それはおいといて、人類の頭で理解できそうもない量子力学を、コンピュータに応用することを通じて、解説しているのがこの本です。
非常に読みやすく、矛盾をはらみながらも進んでいくサイエンスの醍醐味を感じられる本です。電子回路の考え方と、暗号化の仕組みがとてもわかりやすく書いてありますので、普通のパソコン好きにもお勧めです。
以下は本文より、もしびびっとくるものがあったら、是非読んでみてください。
(びびっとくるねー)–
われわれが理解できていないことは、あまりにも多い。到底目には見えないたった1000個の原子でも、1000ビットの長さの数をすべて表現できる。これを10進数に変換してみよう。2の1000乗は、ほぼ10の301乗に等しい。したがって量子的重ね合わせを用いれば、
0から9,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,
999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,
999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,
999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,
999,999,999,999,999,999までの数をすべて同時に表現できることになる。なんらかのアルゴリズムを走らせれば、10の301乗通りの計算をすべて同時に処理できるのだ。しかし考えてほしい。この数は宇宙に存在する素粒子の総数よりはるかに大きい。するとこの計算は、いったいどこで行われているのだろうか?
[YouTubeねた]プロ棋士が二歩で負ける瞬間
理絵子ちゃんがかわいいので、このところよく観てます。
でも、なんといっても「勝負」の真剣さがいい。たとえ勝っても、ため息ひとつ。
「ラッキーマン」マイケル・J・フォックス
いつも明るく、ひょうきんで人を笑わせるのが大好きで、でも涙もろくて、かわいい女の子にはいちころだ。なんて魅力のあるキャラクター。こんな風になりたいな。彼の映画も、テレビも、なんだかんだいって見てました。いい俳優ですよね。
学生の頃、人に、
「おれってさあ、マイケルJに似てると思うんだけど・・・」
と、聞いてみました。
「おまえは、グレムリン、だ」
と、言われました。生まれた時から、家族の思い出を中心に語られています。とてもやさしさあふれる視点で、すでに亡くなってしまった人たちや、現在の彼をとりまく人たちを回顧しています。本当にやさしい文章です。こんなに、まわりの人たちを好きでいられるというのは、すごいことです。
やがて、ハリウッドという「びっくりハウス」に、彼は飛び込んでいきます。はじめはパッとしない3年間。でもチャンスをつかみ、テレビドラマは大成功、映画界からは引っ張りだこになり、昼も夜もない 生活。仕事は忙しく、楽しい。お金もがっぽりと儲かって、まさにサクセスストーリー。そして、人気絶頂のある時期、彼は自分がパーキンソン病に罹っていることを知るのです。
そしてパーキンソン病が進行していき、心と体が一致しない状態が多くなり、薬を飲まないと、人前で奇妙な動作をするようになる。病気がばれるのではないかと、びくびくしながら、彼はどんどんひきこもっていきます。でも、人前ではひょうきんに振舞う。この「演技」を、彼は7年間も続けていたのですね。
そしてカミングアウト。世間の反響は、彼が思っていたより大きくて、やがて彼は社会にパーキンソン 病患者の代表者として、働くようになります。病気を拒否するのでなく、「プレゼント」として受け入れる。「彼ら(観客)の支持があったからこそ、ぼくの人生におけるいろんないいことがぼくの身に起こったのだ。そのことを思うと、いつも観客とぼくはいわば相互に利益と尊敬をもたらす一種の契約を交わして いる当事者同士だという気がしてくる。だが、いまぼくを襲っているこの善意の津波は、それが契約などというビジネスライクなものでないことをはっきりさせてくれた。ここにはもっと深いつながりがあり、深遠な関係があったのだ。ぼくも彼らと共に成長してきたし、彼らはぼくの味方になるつもりでい ることをぼくに知らせてくれているのだ。」
ファンや、世の中に対する見方が、すごく深遠になっていきます。病気になることは、不幸なことだけど、そこから学び、成長していく糧にしている。人間として、本当にすごいなあと思います。本の途中にある、マイケルの祈りの言葉が、とても印象的なのです。
飾りのない言葉と、素直な文章、いい本です。
–
神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。
「ホワイト・ジャズ」ジェイムズ・エルロイ
ほんとにもう、なんと言ったらいいのか、ものすごい小説です。前にも紹介した「ブラックダリア」「L.A.コンフィデンシャル」に続く、「暗黒のLA四部作」の完結編です。実は「ブラックダリア」は、あまり全体の筋とは関わらないのですが、もうひとつの「ビッグ・ノーウェア」とあわせて、四部作とされています。前の3作を読んでしまうと、もうすでに、すべての謎が解けるお膳立てをされているようなものです。相変わらず描写はハードです。心して読みましょう。
LAコンフィデンシャルの主人公だったエド・エクスリーが、この本では黒幕にまわります。なぜ彼は、あまり重要とは思われない、変質者の事件に執拗にこだわるのか。そして、どうにも救いようのない悪徳警官が主人公として、エクスリーの命令を受けて捜査を続け、大きな謎と陰謀に巻き込まれていきます。すべてを知っているエクスリー(つまり読者)、謎を解こうとあがき、破滅する主人公(これも読者)。本当の主人公は、ずっと語られることのなかった、華やかなロスアンゼルスの暗部なのでしょう。何が正義で、なにが悪なのか。そこに生きた人間の罪の重さは、どれくらい大きなものなのか。
多用されるスラッシュ記号、ボールドスタイルで描かれる世界は、麻薬、売春契約、大物、ハリウッド女優、偏執的殺人、権力、隠蔽、ギャング、愛憎、スキャンダル、B級映画、政治的かけひきに満ちています。それらすべてがつながり、それらすべてを操っている巨悪、そして翻弄される人間たちが見えてくるのです。破滅の淵で「事実を聞かせてくれ」ともがく主人公。狂った人間たち、喧騒に満ちた世界、そして最後に訪れる静けさ。音楽。ほんの少しの優しさ。
だいたい、この本の後ろについている帯書きがすごい。
「脈打つ暴力衝動、痙攣し暴走する妄執、絶望の淵で嗚咽する魂――ミステリ史に屹立する20世紀暗黒小説の金字塔。」だそうです。夢中で読みきった4作品でした。「ビッグ・ノーウェア」については、また後日。
「ビッグ・ノーウェア」ジェイムズ・エルロイ
「NOWHERE」という言葉を聞いて、僕はビートルズの「NOWHERE MAN」という曲を思い浮かべました。なかなか哲学的な歌で、非常に心に残るフレーズです。
He is a little nowhere man.
Sitting in his nowhere land.
Making all his nowhere plants for nobody.
間違ってたら、すんません。「彼はどこにもいない男で、どこにもない島に住んでいて、誰のためにもならない、なにもない作物を育てている」とでも訳すのでしょうか。なんかマザーグースみたいですね。
この本では、ビッグ・ノーウェアは「大いなる虚無」と訳されていました。
ひとつの殺人事件を無理やりに担当する保安官補のダニーアップショーという人物が、大きな陰謀に巻き込まれていく過程を書いています。事件そのものは実に倒錯していて、動物の歯形で食いちぎられた死体の謎を追っていく展開です。同時に、アップショーは共産党をたたきつぶすための隠密作戦にも参加します。異常殺人と、共産党と、ふたつの渦の中心に投げ込まれ、大物マフィアや悪徳警官、ハリウッドのボスなども絡まりあい、それはもうこの作者の力技としか言えないストーリーです。やがて、アップショーはLAの暗黒で何が起こっていて、誰がなにをしようとしているのか、全体の輪郭をつかむところまでいくのですが、このあたりはちょっと言えません。そうか、やっぱりあんたが出てくるんだな、と思わずつぶやいてしまいます。
「4部作」といわれているLAシリーズですが、「LAコンフィデンシャル」を読んだあとで、こっちを読んだ方が、余韻が深くなるような気がします。「ブラックダリア」は、ちょっと置いておいて(めちゃおもしろいのですが、ストーリーとしては独立しています)、「LAコンフィデンシャル」→「ビッグノーウェア」→「ホワイトジャズ」という流れで読むのが、僕のお勧めです。
全体に、ストーリーは絶望感が漂っています。なんでここまで書き込むんだという気もします。ただ、この作者のすごいところは、すべてのことから逃げずに、真正面から取り組み、ついに書き切ったというところです。おそらく、大半の人はどれか一冊でも、読み切るのが困難だと思います。それでも、この作者と同じように逃げずに、この作品たちと真正面から向かい合ってみれば、他の作品では味わえない、深い感想を持つことになると思います。
「LAコンフィデンシャル」ジェイムズ・エルロイ
がむしゃらな暴力刑事、出世に執り付かれたエリート刑事、麻薬まみれのぬるま湯生活を送る刑事。それぞれに傷を負っている、3人の刑事の物語。それぞれにいがみあい、傷つけあい、裏切りあう。違う角度からそれぞれの事件を追いかけ、その過程でまた傷ついていく。残虐な事件、どろどろの人間関係、語られない過去、醜悪な世の中、憎むべき世界。妥協のない描写と、登場人物の緊迫した台詞が、いちいち胸を打ちます。複雑なストーリーを力強く語り、読者を最後までひっぱります。そして、作品の後半、はじめて3人が揃って話し合うとき、大きな組織悪が姿を現し、すべての謎が解けます。
この作品は映画化されて好評でしたが、この原作がもつ力を受けて作られた秀作だったのだと思いました。ストーリ展開が、映画よりもやたら辛辣です。映画ではキーワードとなっていた「ロロ・トマシ」はでてきません。というと、ファンの人は気になることでしょう。是非、読んでみてください。というわけで、以下は引用、
「エドは、そこへいった。そして、ホワイトがつけていた娼婦殺しの詳しい捜査記録を見つけた。その記録は、空の星をつかんでそのほとんどを引きおろそうとしている男のむなしい記録みたいなものだった。その有限な力は、いつまでも赤く燃える怒りの炎によって無限の力に昇華しているようにも見えた。完全なる正義――名前を売るためでもなく、地位も栄光も関係ない。」
「ブラックダリア」ジェイムズ・エルロイ
人生観が変わっちゃうくらい、強い印象の小説です。出口のない暗闇の中でがむしゃらにもがいて生きる人間の、なんと愚かしいことか。過酷な運命に翻弄される人間の、なんと弱っちいことか。這いつくばるようにしてずるずると進んで行っても、なかなか救いは見えないくせに、日常はいじわるな干渉をしてくるし、正しい答えなんか分かりっこありません。
惨殺された少女の事件を追っていくミステリーなのですが、複雑なストーリー構成で、作品のなかにはいるまでが大変。でも、一度ストーリーに浸ったら、やめられません。登場人物の存在感、吐き出される言葉の緊迫感、ラストにいたって、すべての謎がつながっていくカタルシス、そのあとにくる虚脱感、そしてほんの少しの救い。ものすごい小説です。
ちなみに、この作品は映画「L.A.コンフィデンシャル」の連作の1作目でもあります。これもけっこう好きな映画です。で、あんな感じで、とてもヘヴィな描写も盛りだくさんです。お子様の手の届かないところにおいて、食事中の使用は控えたほうがよいでしょう。
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幕末、明治維新を経て、明治の新政府が誕生するその時代、多くの才能ある人間が活躍しました。
いつも明るく、ひょうきんで人を笑わせるのが大好きで、でも涙もろくて、かわいい女の子にはいちころだ。なんて魅力のあるキャラクター。こんな風になりたいな。彼の映画も、テレビも、なんだかんだいって見てました。いい俳優ですよね。


